grenelle165's blog

ふと考え、感じたことをできるだけ素直に綴りたいとおもいます

『忘れられた巨人』〜そう簡単に恨みは消せない

このたびの従軍慰安婦問題をめぐる日韓合意はとても唐突に感じました。

なぜなら、今の日韓両首脳にとっては、お互いの敵意のようなものを煽りつづけること自体が政権のアイデンティティであるかのように見えましたし、実際、それによって利を得ている部分もあったと思うからです。

特に韓国では国民の対日感情をコントロールすることが政権運営に直結するでしょうし、しかも、今回の合意によって、例の「慰安婦像」の撤去問題など、ボールを持つのは韓国側になります。反対派の説得は容易ではないでしょうし、韓国側にとって今回の合意はリスクが大きく、進める動機があまり見えないのになぜ?というのが正直な感想です。

「唐突な」合意は日韓が自発的に歩み寄ったのではなく、東アジアの安全保障での役割縮小を望む米国が、その一環として日韓の外交関係改善を強く求めたのだ、という分析がちらほら見られます。真相は分かりませんが、米国が「世界の警察」としての役割を縮小させたがっているのは確かでしょうし、世界の安全保障において米国が撤収傾向にあるという文脈からみれば、それなりに納得できる見方だと思います。

ところで、今回の合意を受けた

『子や孫の世代に謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない』

という安倍首相のコメントには、なんだかとてもモヤモヤした気持ちになりました。

私は従軍慰安婦に関する実態を知りませんが、強制の程度の差こそあれ、植民地支配という構図の中で発生した出来事であるということは事実でしょう。

そして、従軍慰安婦を含め、朝鮮人が戦前に日本から受けた抑圧が、個人的体験としてではなく、同じ苦難に遭った国民や民族の集合意識として連綿と受け継がれていること。そして、日韓関係に限らず、このような集団的記憶は仮に教育などをしなくてもそう簡単に消えたりしないこと、いったんは忘れたように見えても何かをきっかけにいとも簡単に甦うることは、これまで数えきれないくらい起きてきた民族紛争や暴動、テロを見ても明らかなはずです。

今回の首相のコメントは、二度と謝罪をしなくてもよいどころか、新たな抑圧と敵意の種を蒔いているに過ぎないように見えてなりません。

最近私が読んだカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』でも、民族などの集合意識の中で再生産される憎しみが重要なテーマになっており、それが世代を超えてどのように受け継がれるかを、ブリトン人と深い交流を持ちながらも同時に憎しみを持ち続けるサクソン人の戦士と少年との「同胞を虐殺したブリトン人を憎み続ける約束」を通じて端的に描いています。

 

アーサー王伝説などを題材にとったファンタジックで親しみやすい体裁をとっていますが、「民族(集団)」と「個人」という二つのレベルで、忘れられ、抑圧された憎しみがどのように扱われうるかという、かなり重いテーマが描かれています。

イシグロは明確な答えを出しているわけではありませんが、重い問いをそのまま投げかけているだけでもなく、個人間の抑圧された悲しい記憶は何かしらの努力で昇華しうる一方で(ラストのシーンが一抹の不安を投げかけてはいますが・・・)、集団の記憶はいかなる個々の努力をもってしても、被害者の側は憎しみの歴史を語り継いでいくという、一つの仮説を提示しているように読めます。いずれにしても、集団に刻み込まれた負の記憶はそう簡単には消せないのです。

日韓関係に横たわる歴史認識問題において、謝罪の繰り返しを断ちたいという首相の思いはわからなくはありません。しかし、抑圧された側の(集合的な)記憶を消し去ることなど到底できませんし、そのことを忘れた議論もまた成り立ちません。

日韓が、加害者・被害者という容易に忘れがたい立場を背負いつつも、それにとどまらない複合的な視点から、近代史の中でなぜ日韓があのような歴史を歩んだのか。そして、これからは米国の影響力が相対的に低くなる中で東アジアの安定のために自律的にどのような役割を果たすべきなのか。

日韓がこれらのことを考えられる関係になるためには、ここで「もうこの話はしない」といわんばかりのコメントを、一国の長が、そのまま、ストレートに述べることに意味があるとは思えないのです。