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grenelle165's blog

ふと考え、感じたことをできるだけ素直に綴りたいとおもいます

石井好子『女ひとりの巴里ぐらし』

フランス 読書 音楽

日本人がパリ暮らしについて書いた本やエッセイは星の数ほどあるが、石井好子『女ひとりの巴里ぐらし』は、まさにその草分けであり、かつ、最も輝いている作品の一つだろう。

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何よりもまず、著者が歌手(アルティスト)として働いた「ナチュリスト」の同僚たちが、あまりにも個性的で読み手の気をそらすことがない。それぞれ性格は違うが、気の強さはみな人一倍のアルティストたち。そして、マヌカン、踊り子、女給、裏方の面々。本音とエゴがぶつかり合う騒々しい楽屋。それぞれが抱えるつらい生い立ちや家族とのいさかい。それでも、彼ら、彼女らは、一日の休みもなく舞台に立たねばならない。心身ともに疲れ果てる毎日。その合間に、時々、光が差し込むように心と心のふれあいが生まれる。

そして、「ナチュリスト」をとりまく数々の挿話。当時の人気歌手、ムルジやデリダとの交流、顔面神経痛専門の芸人、マヌカンを口説くまさか!?のオーソン・ウェルズ、アラブの王子、エジプトの財閥の「ガマガエル」、キューバの砂糖王、日本人詐欺師の「T」などなど、生き生きとした挿話が、エッセイを盛り上げる。

60年以上も昔の「ナチュリスト」と、ピガール広場、モンマルトル界隈のざわついた光景が、私が実際に見て、歩いた、2000年代のパリの記憶とも重なり、自分自身があたかもその場にいたかのような錯覚に陥るのだ。

強気の筆致に乗せられて、夜更かしもいとわず一気に読み通した。
ひさびさの心地よい読書。

ところで著者のパリ滞在は50年代前半。在留日本人の数も400人だったというから(本文より)、もちろん今とはケタ違いに少ない。

フランス人の日本に関する情報や知識、認識も、今からは想像もできないくらい乏しかっただろう。

そんな時代に、若い一人の日本女性がパリで現地の人に交じって生活し、仕事をした。

しかも、フランス人やヨーロッパ人に伍して、パリの有名ミュージックホールで一日も休まずに歌い続けて最高のギャラをもらい、それ以外にも、ニースでのシャンソン大会など、様々な檜舞台で活躍したのだ。

解説で鹿島茂氏も書いているが、「現地で、日本人相手ではなく、現地の人を相手にお金を稼ぐ」ことがどれほど大変なことか。私は海外の生活(2000年代のパリ6年とアフリカでの今)で、日本からの駐在員という身分でしか仕事をしていないので、そのプレッシャーは身をもってわからない。とはいえ、仮にそれを本気で志した時は、とてつもない苦労があることは想像できる。

著者はこのような観点から、自分の苦労を誇らしげに語ったり、ほのめかしたりすることはない。
しかし、現地の人々の間にしっかりと溶け込み、そこで稼いだ。それ故に、「ナチュリスト」の舞台裏を描く生き生きとした描写が、著者でしか知りえないようないくつもの挿話が、他の書き手にはないリアリティを持つことになるのだ。

読者はそのリアリティからくる迫力をひしひしと感じながら、著者の過ごした濃密な時間を、あたかもタイムスリップしたかのように追体験することができる。

「巴里」というタイトルも、単にレトロな呼び名というだけではなく、むしろ、文字通り遠い異国であった当時の「巴里」で、身一つで果敢にチャレンジした、その経験の幅の広さと、奥行きの深さを含んでいるように感じる。
著者が送った時間の濃密さと色鮮やかさ・・・
うまく言えないが、当時はパリではなく本当に「巴里」だったのだ。

著者が生きた「巴里」が本当にまぶしく映った。


<追記>
(1)著者が一年間、ニースのシャンソン大会に出演した三日間以外、一日の休みもなく出演した「ナチュリスト」での舞台の写真が、こちらのブログに載っています。

ジャコメッティと二人の日本人(5):美術領域探求:So-netブログ

この大変貴重な写真、どこから持ってこられたのでしょうかね。とても興味深いです。

 

(2)著者が心惹かれてやまなかったシャンソン歌手「ムルジ」をYouTubeで検索したところ、色々と出てきました。マルセル・ムルジ(Marcel Mouloudji)は、1922年生まれ(著者と同い年ですね)。父親はアルジェリア、母親はブルターニュ出身。ムルジが10歳の時、母親が精神疾患になり、その後は読み書きができない父と兄とで屋根裏部屋暮らしをする。思春期には左翼運動に身を投じ、戦前から戦後にかけていくつかの映画に出演。サルトルボーヴォワールなどとも知己を得る。
シャンソン歌手としては、1952年、パリの人気キャバレー「トロワボデ」のオーナーで芸能プロモーターのジャック・カネッティの後押しで、『女ひとりの巴里ぐらし』にも何度も出てくる『小さなひなげしのように(Comme un p'tit coquelicot) 』が53年のレコード大賞となり、シャンソン歌手としての活動が本格的に始まる。その後も反戦歌で有名なボリス・ヴィアン作詞の『脱走兵( Le Deserteur)』や『Un jour tu verra(いつか君は分かる)』を歌い、一躍人気歌手となる。
その後、再び映画や舞台でも長く活躍し、死去の直前まで精力的に仕事をした。1994年逝去。パリのペール・ラシェーズ墓地に眠る。
(以上、Wikipediaフランス語版より)

聞いてみると分かりますが、とても素直で、伸びのある歌声です。
シャンソン歌手は声も歌い方も個性派ぞろい(しかいない!)という印象ですが、ムルジは飾り気がなく、強いクセもありません。爽やかでありながら、深みのある優しい歌声ですね。文中にも出てくる通り、確かに、美男子ではありませんが、このあたたかい歌声。著者が心惹かれたのがわかる気がします。私も好きになりました。

『小さなひなげしのように』Mouloudji : Comme un p'tit coquelicot. - YouTube

『枯葉』(イブ・モンタンで有名ですね)

Mouloudji chante Prévert "Les feuilles mortes" version inédite 1958 - YouTube

『脱走兵』(歌詞はボリス・ヴィアン

Le Déserteur - YouTube

  

女ひとりの巴里ぐらし (河出文庫)

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