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grenelle165's blog

ふと考え、感じたことをできるだけ素直に綴りたいとおもいます

ゴリラの世界のからみた人間組織の課題と可能性

週刊現代(10/25号)」に京都大学新総長、山極教授のインタビュー記事が載っていました。

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山極教授は、30年以上にわたりアフリカの熱帯雨林でフィールドワークを行い、ゴリラの生態を調査するとともに、霊長類の研究を通じて人間社会のあり方、「人間とか何か」を追究している、ゴリラ研究、霊長類研究の第一人者です。

インタビューの中で、教授はゴリラの生態について、サルとの比較から次のように述べています。

サルが強者を頂点に序列社会を作るのに対し、ゴリラは群れの中で序列を作らず、喧嘩をしても勝ち負けの概念を持たない。お互いにじっと顔を見つめあう「覗き込み行動」で和解する。ときにはメスや子どもが仲裁に入ることもあった。

非常に面白いですね。ゴリラって、いかつい外見からいかにも弱肉強食なイメージがありますが、実際はかなり高度で、平和的なコミュニケーション力を持っていることがよく分かります。

「(前略)大学教育も、学生個人の能力を高めることに傾注しすぎている。自分が勝つことが大切なのではなく、いろんな能力を持った人間が一緒になって、なにかを達成する。そのことが生きる喜びにつながるような研究環境も必要だと思う。

ゴリラの世界では、強い固体も弱い固体も共に群れを作ることで強靭になる。ところが今の日本社会は、ボスに支配されたサル山のような社会に近づいているんですよ。」

 本当にその通りだと思います。教授の言うように、勝ち負けや「正しいか、正しくないか」など関係なく、皆で切磋琢磨して面白いものを作り上げていくという経験と、それが許される環境や雰囲気は、本当に幸せで得がたいことと思います。

それから、「強い固体も弱い固体も・・・」のくだりは、非常に考えさせられます。

普通なら、強い組織=強い個人の集まりと考えがちですが、決してそうじゃないんですね。

私は「強い固体も弱い固体も共に群れを作ることで強靭になる」というゴリラの群れにおける事実は、人間社会にも当てはまる真実だと思います。「(一見)弱い固体がいるからこそ、チームとして強くなる」ということだと思いますし、心情的にも大いに賛成です。

でも、現実はそうなっていないですね。むしろ、組織の中で、弱い(=色々な理由で仕事がデキナイとみなされた)個人は、随分と肩身の狭い思いをしたり、苦しんだり、不利な扱いを受けたりします。そして近年は、激しいグローバル競争がこの傾向を助長し、正当化します。

そもそも、組織の中で、すべての人が「優れている」というのはありえないです。幻想です。能力ややる気、色々な意味で優れていない人がいるのは当たり前。いくら「優秀な人」で固めた組織でも、時々の事情で力が発揮できないことも多々あります。そもそも「優秀」「強い」という概念自体が、他との比較やある一定のモノサシに沿ったものに過ぎませんし、仮にそれが事実であったとしても、その秀でた点や強さが、個としてもチームとしても最大限発揮されなければ意味がない。

それは、スター選手を集めただけのサッカーチームや、「4番やエース」ばかりで構成された野球チームを思い起こせば明白です。

 今、いろんな会社が「ダイバーシティ」を標榜し、様々なバックグラウンドを持った人材を雇用して、国際競争に勝とうとしています。確かに、ジェンダーや国籍という点で「多様化」は少しずつ進んでいると思うのですが、結局のところ、学歴や実績で裏づけされた「優秀な(グローバル)人材」が欲しいだけという会社が多い気がします。

重要なのは、経歴だけでなく、能力や意欲も含めて「多彩な」人たちがいるということを大前提に、互いに信頼して生き生きと働き、持てる力を最大限発揮して組織や社会に貢献するということだと思います。結局、いくら個々人が「優秀」であっても、いい関係性、信頼関係でつながっていなければ、その組織は組織として機能せず、強靭さからは程遠くなってしまいます。

 強者を頂点とした序列社会(組織)よりも、様々な人間が信頼関係で結ばれ個々の力が最大限発揮できるような社会(組織)の方が、強靭さを失わないと思いますし、それが結局、グローバル競争社会で価値のある仕事をして生き残っていく大前提になると思います。

教授の言う 強い固体も弱い固体も「共に群れを作ることで」強靭になるのはなぜか。直感としては正しいと思うだけに、これを理論の上でも、実体験としても、もう少し深く追究したいですね。