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grenelle165's blog

ふと考え、感じたことをできるだけ素直に綴りたいとおもいます

井筒俊彦『イスラーム文化』を読んで

フランスで勤めていた10年ほど前、北アフリカ(モロッコ、アルジェリアチュニジア)に仕事で頻繁に出かけました。また、フランスには北アフリカからの移民も多く、彼らと直接言葉を交わす機会もあり、その頃から「イスラム」は自分にとって一気に身近なものになりました。

当時は9.11同時多発テロの直後でしたし、フランスでも2004年に公立学校での宗教的シンボルの着用を法律で禁止(いわゆる「ヴェール問題」)するなど、サミュエル・ハンティントンの『文明の衝突』がそこかしこで現実化しているかのような空気がありました。

また、個人的にも、子供の頃にかすかに記憶しているイラン革命やイラン・イラク戦争湾岸戦争。そして、多くの日本人の記憶にはないと思いますが、『悪魔の詩』著者サルマン・ラシュディへの「死刑宣言」にからみ、日本語訳者の筑波大助教授が暗殺された事件は高校生だった自分にとって湾岸戦争以上に衝撃的でした。

当時から、イスラム文化、ムスリムの行動は、自分にとって、そして多くの非ムスリムにとって「なぜ?どうして?」に満ちたものでした。

そして、現在、世界に衝撃を与えている「イスラム国」も、私にとっては正直、理解の範疇を超えたものです。

とはいえ、イスラム圏が日本にとって遠い存在ではないことは、経済面での結びつきの強さ(対中東エネルギー依存度だけでなく、日本企業にとっての投資機会、B to Cビジネスの可能性、インドネシア、マレーシアなど日本から近いイスラム大国の存在)一つとっても言うまでもないことで、我々としても、イスラム圏のこと、ムスリムの行動様式の根底にあるものをより深く理解しようと務めた上で、そこから時局的な分析を行う必要性が、いま再び高まっていると思われます。

このような思いで、この週末、井筒俊彦イスラーム文化 その根柢にあるもの』を10年ぶりに紐解いてみました。

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著者は世界的なイスラム学者で「コーラン」の原典訳でも有名な大学者。イスラム研究のみならず、東洋思想全般やロシア文学研究などでも多くの業績を残した碩学です。

文庫の表紙にある通り、本書は、①イスラーム文化の特徴、②共同体を支える「法と倫理」という形で外的に現れた「顕教イスラーム(スンニ派)、③②との対比で内面に深く入り込む「密教イスラームシーア派スーフィズム)の三部構成です。もともと、講演録を清書・改稿してできた本なので、非常に平易で分かりやすい文章と構成になっています。

本書で述べられていることは、研究者や長い間イスラム圏でビジネスをしている方々から見れば基本的なことばかりかもしれませんが、一般的、断片的なニュースにしか接していない我々にとっては「眼からうろこ=なるほど!」と思わず口に出してしまいそうな、面白くて重要な事柄ばかりです。

例えば、 イスラームは原則的に聖と俗を区別せず、コーラン(やハディース)で示された「神の意思」を実現するために日常生活の隅々まで規定する宗教であるということ。そうなると、政治も法律も、生活の全部が宗教ということになり、イスラム教徒があれだけ厳しい戒律(礼拝や禁酒、ラマダンなど)を守って過ごしている背景が何となく理解できます。聖俗不可分なので祈る人=聖職者や僧侶もいないというのも分かりますね。

それから、イスラームでは、歴史はつぎつぎに起こる出来事の途切れ途切れの連鎖として認識されること。この世のすべては瞬間、瞬間に神の意思が発現しており、瞬間ごとに神の意思によって世界が創造されているという発想です。これについては、私も経験しましたが、アラブ圏で仕事をするとアポイントをすっぽかされたり、長時間待たされることがよくあります。その時、先方からは何事もなかったかのように(当たり前のように)「インシャーラ」といわれます。「神のみぞ知る」という意味だそうですが、上に書いたようなイスラム文化での発想を知っておくと、彼らは我々のように「約束したから」、つまり「過去の行為」の結果が現在である、という考え方とは異なる時間認識、因果関係で動いていることが一応、理解できます(といっても、約束が果たされないと非常に困るのですが・・・苦笑)。

 著者はこれ以外にも、「イスラーム文化をイスラーム的ならしめているもの」を色々な側面から分析しているのですが、その裏にある思いを著者は次のように述べています。

過去何百年ものあいだ、広大な中近東における無数の人間の生き方を根本的に色づけ、その社会的・個人的存在様式を規制してきたイスラームそのものを正しく理解することなくしては、そこで生起する時局的事件や事態の理解すら、表面的で深みのないものになってしまうのではなかろうかと考えるのである。(中略)イスラームに対して、アジア東端の文化を担う日本にも、学問的であれ、時局的であれ、日本人独自の、本当に日本的といえるような深みのある理解が生まれてきてもいいはずだ、と私は思う。

イスラームイスラームのまま理解しようとすることの重要性や意義はそのまま「そうか!」と受け止められますが、一方で「日本独自の」イスラム理解とは何なのでしょうか。

著者は本書では明確に述べていませんが、恐らくそれは、近代以降、「非西洋」として西洋文明と対峙しつつ日本ならではの感性と工夫でそれを受け入れ、国と文化の発展につなげてきたという視点から、イスラムの葛藤を見据え、これを踏まえて日本独自の方法で平和な未来に向けた発展に貢献するということなのかと(直感的に)思います。

とはいえ、千数百年間、イスラム教徒の生活様式を規定してきた「コーラン」と、西洋文明と不可分である「科学技術」の導入による国の発展、生活水準の向上をいかに両立させてゆくかはイスラム諸国にとってあまりに大きな課題です。「政教分離」一つとっても、イスラム教の根本発想と相容れない西洋の体制を受け入れるのは、日本とは比べ物にならない葛藤と相克があると思います。

著者が三十数年前に提起し、今なお確立していない「日本独自のイスラム観」がどのようなものか、私にはまだ全くわかりませんが、とても面白そうなテーマなので、引き続き、考えていきたいと思っています。 

イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)