「慣れない」は結局自分が嫌がっているだけ
昨日、前の職場の同僚と飲んだのですが、その時、ある後輩とこんなやりとりがありました。
後輩:「新しい仕事にはもう慣れましたか?」
私:(少しためらいながら)「それがねぇ、実はなかなか慣れないかもしれない。1年4ヶ月たったのに。学習能力が落ちてるのかなぁ」
後輩:「そうですか・・・もしかして、積極的になじもうとしてないんじゃないですか?」
私:(ちょっと考え)「あぁ、確かに、そうかもしれない。慣れないっていうのは、結局、自分が慣れようとしてないってことだもんね」
慣れないことに関しては、仕事内容や上司との人間関係など、個別の理由はあるのですが、一番の原因は、他でもない、自分自身が「なじみたい」「慣れたい」と心から思っていないからなんですね。
つまり、慣れないのは「環境のせい」ではなく、自らの決意と選択の問題、意欲の問題ということです・・・確かに、頭では慣れたいと思いつつも心では受け入れていなかったり、「この仕事、やりたくないなぁ・・・」と拒否して、それを引きずったまま仕事をしてしまうこともあります。そしてふと気がつくと、慣れないことを「周りのせい」にしていたり、なじめないことに大きなストレスを感じながらも、その状態を「まあ、ツラいけどしょうがないか」と惰性で放置していたりします。
いけませんねぇ。。。
この状態から抜け出すためには、まず、上司との関係を中心に自分が苦労していること、馴染めないでいることに関して自分を責めたりせず、全体をひっくるめて今の状態を認めることが必要と思います。
今の職場のあり方も、今までの自分のあり方や価値観も、どちらがいい、悪いではなく、まずは両方を受け入れる。
恐らくこれが「慣れる」ための第一歩であるような気がします。
いくら辛い(と感じる)出来事が重なったとしても、それを逐一、拒絶していたら、何一つ物事を前に進めることが出来ません。また、今の環境にうまく馴染めていない自分を責めてしまえば、自分が苦しくなるばかりでしょう。
よく言われることですが、全ての出来事は、何かしらの意味があって起こっています。
その意味が、すぐにピンと来るときもあれば、「何でこんなことになるのか」と頭を抱えたくなるようなこともある。
そこであきらめずに、粘り強く、「この出来事から得られるものは何だろう」と問いかける。出来事の意味は、決まった正解として既にあるものではなく、自分自身が「得られるもの」にフォーカスして、積極的に解釈し、意味づけるもの。
全てに賛成することではなく、無理に好きになることもない。ただ、出来事に心を開いて、起こることを認め、そこに意味を見出す。意味は「自分で決める」。
その積み重ねで、今の状況も自分も認められるようになる。そして、いまの職場での仕事や出来事が少しずつ自分に馴染んでいく。
恐らくそれが「慣れる」ということなのでしょう。
それにしても、昨日の後輩との何気ないやりとりから、色々なことに気づき、考えが広がりました。
つくづく、自分は人に恵まれてきたんだなぁ、、、と実感しました。