grenelle165's blog

ふと考え、感じたことをできるだけ素直に綴りたいとおもいます

久々に春樹を読む。『国境の南、太陽の西』

先ほどテレビで、ロンドンの書店で村上春樹がサイン会をし、長蛇の列が出来たというニュースを見ました。サインをもらうために、一日近く並んだ男性もいたそうです。

ノーベル賞候補と呼ばれはや数年。諸外国でも不動の人気を築いていますね。

村上春樹を初めて読んだのは15年ほど前でした。中学生の頃から、小説も音楽も古いものばかり好んでいた私でしたが、当時、「同時代の文化」にほとんど触れていなかったことに疎外感と引け目を感じており(今はそんなこと全く感じませんが 笑)、それならば我々の世代が避けて通れない作家は春樹だろう!ということで、初めて手に取ったのが『国境の南、太陽の西』でした。

主人公と誕生日が一緒であること(1月4日です)、自分にも分かる一人っ子の感覚(私には弟がいますが、9歳離れているので育ち方はほとんど一人っ子のようなもの)、学生から社会人の始めの数年にかけて友達らしい友達ができなかった(と信じ込んでいた)こと、自分を表現する適切な言葉を見つけ出すのにいつも苦労していたこと、大量消費・資本主義システムに対する不信感、などなど、内向的でちょっとひねくれた主人公と自分と重ね合わせ、引き込まれるようにして読んだのを覚えています(もっとも、自分は高校生のときに同級生の女の子とつきあったことはありませんでしたが・・・)。このように、読み手に「なんだか自分のことを書いてくれている」「自分の心情を代弁してくれている」かのような感覚を持たせるところが、まさに春樹マジックだったのでしょうね。私もそれに完全にはまってしまいました(それはそれで、アリと思います)。

一方で、主人公が高校時代に「ひどく傷つけた」恋人が、物語の最後に表情を完全に失った姿で現れるシーンには、なんともいえぬ底暗さと、軽い後味の悪さを感じたのを覚えています。

その後、『国境の南、太陽の西』は2~3度読みましたが、先週、ふと思い立って久々に読んでみました。

改めて思ったのは、春樹作品の中では異色な作品だなぁ、、、ということです。理由は、小説の構造として、得意の「パラレルワールド」など、ややこしい設定がないことが一つ。それから、小学生の頃からの心の恋人、島本さんの永遠の失踪が、他の春樹作品における喪失感の強い「女性の失踪」とはやや異なり、むしろ現実世界で生きることに主人公が希望と決意を見出すきっかけになっていること。また、これに関連し、主人公の「浮気」を察した妻、有紀子との「これからどうしていきたいか」に関する会話が、非常に現実感のある、力強いやりとりになっていること(有紀子の主人公への語りかけは非常に見事と思います)。ここまで現実的な重さを感じさせる会話(単なる「リアル」とは違います。体温、と言ってもいいかもしれません)、他の春樹作品ではあまりないような気がします。

つまり、現実世界で生きることに関する重みと、現実世界で確かな手触りのあるものを掴んで生きようとする意欲が、他の作品よりもひときわ強く感じられるのです。その「意欲」という意味で、それ以前の作品と一線を画すターニングポイントになった重要な作品と思います。

国境の南、太陽の西』を、このように特徴付けるのが果たして適切なのか、他の作品の記憶と印象が薄まっている(最近読んでないので・・・)ので自信がないのですが、少なくとも、今回久々に読んでみて、今まで以上に非常に好ましい作品だなと感じました。

やっぱり、島本さんより有紀子だよな、、、と。

 

年季が入って古本の香りがプンプンです・・・

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