読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

grenelle165's blog

ふと考え、感じたことをできるだけ素直に綴りたいとおもいます

中勘助『銀の匙』

読書

私は「積ん読」が大好きです(苦笑)。自宅にも実家にも犠牲になっている本が山ほどあります。

中勘助銀の匙』はその中でも最長記録と思います。先日、少なくとも25年は放置されていたのを、実家の本棚から引っ張り出しました。そして本日、めでたく読了!

f:id:grenelle165:20140817232911j:plain

一番の感想は、子ども時代の思い出といいつつ、男の子ではなく女の子の世界が山ほど描かれているなぁ、と。「銀の匙」が出てくるのは冒頭の部分だけで、その後は、母に代わって育ててくれた伯母さんをはじめ、近所に住む勝気なお国さんとお惠ちゃん、お姉さん、乳母、「げいしゃ」、葡萄餅を売る婆さんなど、数々の女性たちがキラ星のごとく「章魚坊主(たこぼうず)=私」を取り巻き、かわいがり(甘やかし)ます。

遊び相手もほぼすべて女の子。美しいものが大好きで、色や音、香りへの感度が抜群に高い。「○○がかわいそうだ」などと一つ一つに感情移入してに涙を流す、情け深い感性の持ち主です。

そんな「私」は、女の子の懐への入り方も絶妙で、自ら女王様(お国さんとお惠ちゃん)の僕(しもべ)を喜んで自認し、負けん気の強い彼女らの一番の遊び相手になるのです。しかも、一時は乱暴者の「富公」にお惠ちゃんを奪われるも、最後は棚ぼた的に奪還します。

(余談ですが、小さい頃に女の子とたくさん遊び、懐に入ることを体得すると、大人になって「モテる男」になるんでしょうね。女性心理のツボを自然に会得しているというか・・・)

このように完全に女の子の世界の住人である「私」。その対極にあるのが、「私」の兄が代表する男の世界です。「私」は兄に、柔術で投げ飛ばされたり、せっかく拾い集めた綺麗な小石や貝を捨てられたり、「お星様」を「馬鹿。星って言え!」などとことあるごとに因縁をつけられます。しかし、最後には兄に連れて行かれた滝つぼで「にいさんが魚をとるのに僕はなぜ石をひろっちゃわるいんです」と冷静に反発し、「私」を脅かす男の世界、乱暴者の世界を見事撃退するのです。

それにしても、100年以上も前に、こんなに率直に子どもの情感が、男目線でいえば「意気地なし」と決め付けられかねない、女性的で細やかな感性が素直に描かれていたのはなかなかの驚きです。しかも、それが非常に自然に、つくりものの感じがせず、そのままの形で表現されているのです。私は日本の近代小説を読み込んだわけではありませんが、自然主義小説によくあるような、作為的、露悪的な感じが全くしません。人間の「苦悩を描き出す」といった創作態度とも無縁にみえます。その点、『銀の匙』のような作品が、明治から大正初期のこの時代に出てきたのは半ば奇跡的だったと言ってもいいような気がします。

一方で、単に子供の感情がそのまま再現されていだけではなく、「(女性的な)細やかで優しい世界」と、(男性的な)合理的、弱肉強食的世界」の対比が、随所に示されています。例えば以下のような感じです。

職人たちのなかに定さんは気だてのやさしい人で、削りものをしているそばに立って鉋のくぼみからくるくると巻き上がっては地に落ちる鉋屑にみとれてるといつもきれいそうなのをよって拾ってくれた。(中略)定さんはいつも人よりか後に残ってぱんぱんといい音のするかしわ手をうってお月様を拝んだ。私はいつまでも仕事場にうろついてそれを見るのを楽しみにしてたが、ほかの職人たちは定さんに 変人 というあだ名をつけて、ああいう野郎はきっと若死にする なぞと言っていた。

このように、定さんに対する周囲=男たちの評価を付け加えることで、「私」が住んでいる世界のやさしさがさらに引き立てられています。

関東大震災前の、江戸の雰囲気が随所に感じられる記述にも興味がひかれます。「私」は幼いころに神田から「赤土の長い坂を上って小石川の高台」に引っ越すのですが、小石川が郊外の田舎のような、寂れた雰囲気で描かれてます。今では考えられないですね。

 25年(以上)の沈黙を経て読んだ『銀の匙』ですが、そこに描かれている情感の世界と、それが示す価値観は、今の時代、これからの時代に(小説が書かれて以来)最もマッチしているのではないかと思いました。これからはもう、「男は(女は)かくあるべき」という時代じゃないですからね。社会で生きていくために論理的、合理的思考を鍛えつつも、同時に優しさや感性、他人の目線や他人との比較、先入観に囚われない柔軟なものの見方が今まで以上に必要とされる時代です。『銀の匙』は、そのような視点から読んでも面白いと思いますし、これから新たに「中勘助ブーム」が起きてもおかしくないと感じます。 

銀の匙 (岩波文庫)

銀の匙 (岩波文庫)