grenelle165's blog

ふと考え、感じたことをできるだけ素直に綴りたいとおもいます

グラナダ、ランプの宿

もうずいぶん前になりますが、年明けに、アルハンブラ宮殿で有名なスペインのグラナダを訪れたことがあります。

そのときに泊まったのは、ランプが美しい宿でした。

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土地柄か、どことなくアラビア風ですね。

最近は心がとても寂しく、辛いので、こういう温かい光を見るといやされます。

宿の名前は・・・いま手元にないので、分かったらリンク載せます!

 

アルハンブラ宮殿

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宮殿からみた街並み(アルバイシン

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一年前、晩秋の洗足池

ちょうど一年前の今日の洗足池です。

写真はボケボケですが・・・

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浮きの周りをカモががくるくると周っていました。

三羽のシルエットと周りの水面が、ちょっと不思議な感じで、平べったく浮き上がってみえます。

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日暮前、池のほとりの弁財天で。

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赤道近くのアフリカに住んでいると、乾季雨季の区別はありますが、基本的には一年中、夏が続きます。私はこの9月からコートジボワールにいるので、今年はまさに『エンドレスサマー』です。ただ、こちらは日本の暑い盛りがずっと続くわけではなく、梅雨明け直前くらいの多少過ごしやすい気温が続いているイメージです。

寒暖差が少なく、暑さも日本の夏のように厳しくはないので体は楽ですが、やはりそこはないものねだり。こちらでは味わえない、日本の紅葉の美しさ、水辺のもの寂しげな風景、豊かで身にしみわたるような秋の味覚がとても恋しく思われます。それは恐らく、物事の有為転変、移り変わり生まれ変わるという感覚をベースにした、輪廻転生的な季節感が身にしみついているからなのでしょう。

寒いのは嫌ですが、やはり何か物足りない・・・

一年前は何気なく撮った(へたくそな)写真が、今はとても胸に迫ります。

 

ジョン・レノン "Mind Games" に思わず・・・

パリのテロのことを考えていたら、急に John Lennon の "Mind Games" を思い出しひさびさに聴いてみました。思わず涙・・・

www.youtube.com 

ジョンが語りかけるとおり、私たちは愛と平和の実現に向けて心の中で Mind Games を永遠に続ける存在で、人生というものも、もしかするとそのためにあるのではないかと思いました。

Mind Games とは心のゲーム、内面のゲーム。ゲームは遊び、遊戯ですが、一方で、ゲームっていうのはみな勝つために真剣に取り組むものでもあります。

そして、この世で起きる物事、それはすべてそれぞれ一人一人の内面の反映。鏡なのです。

あと、この曲では ”Yes is the answer” という一節。このフレーズが発する優しく、ポジティブなエネルギーはとても強力です(確か、JohnとYokoの出会いも "Yes!" にまつわるものでしたね)。

やはり、ジョンは本当に偉大なミュージシャン。

生前も死後も絶大な影響を与え続けているという事実が身にしみてわかりました。

 

パリへ、黙祷

パリでの殺戮テロは、テロの質が変化し、私たち一般市民も全面的にターゲットになりうる(むしろ、政府関係者や軍、警察などよりも丸腰の一般市民こそが狙われている)ことを改めて思い知らされました。

少人数のテロリストが一般人や難民を装って送り込まれる、または既にそこに住んでいる人間(素人)が武器や訓練などの支援を受けて、遠隔の指示、あるいは半ば「自発的」にテロを行い、それを本体(イスラム国であったり、あるいはアルカイーダであったり・・・)が後で犯行声明という形で追認し、お墨付きを与える。テロのスタイルが、プロによる周到に準備されたものから、セミプロ(あるいは武装し「モンスター化した」素人)による自爆型へ、コアかつハードなターゲットから一般市民を狙った周辺かつソフトなターゲットへ変化し、それによりさらに大きなショックを与えることを狙うようになってきていることは、既に多くの識者が指摘していることですが、いよいよ、その脅威が身近に迫ってきたことを感じます。

アメリカのバンドのコンサートに行く(しかも小~中規模くらいの割と手狭なコンサートホール)、中心街からちょっと離れた安くて美味しいエスニックレストランで食事をする、スタジアムにサッカーやラグビーの試合を見に行く、何気なく街角にカフェに入る・・・パリに住んだり、遊びに行ったりすれば(もちろん、パリでなくても世界いたるところで)、誰もが普通にするようなことばかりです。

そこには間違いなく、テロや殺戮とは無縁の、ごく普通の日常の時間が、穏やかでポジティブな空気が流れていたはず。それが一瞬にして血の海に変わる・・・言うまでもありませんが、このような暴挙は、いかなる理由があろうとも断じて許されることではありません。

仏オランド政権による対シリア政策の転換(空爆への参加)が、テロの口実となっていますが、当のイスラム国にとっても、ことはそれほど単純ではありません。第一次大戦以来ここ100年ほど、もしかすると何百年も前から連綿と続いている欧米とアラブ諸国、あるいは利害を異にする中東諸国・民族間の憎しみの連鎖。これをどのような形で断ち切れるのか、決して断ち切ることはできないのか。

既に語りつくされた視点ではありますが、やはり、我々の生活がいまだ中東の石油に依存し、中東が世界にとって石油をめぐる利権争いの場である限り、つまりは、現代の資本主義社会の大前提の一角に変化が起こらない限り、本質的には何の変化も怒らず、仮にイスラム国が崩壊しても、また新たな勢力、欧米に対する憎しみ、テロの動機自体は別の形で再生産され続けるのでしょう。我々は(石油に依存した)我々の生活を守るため、米国に「中東の安定」を委任する。米国は同盟国と強調して安定を脅かす敵の対抗勢力に資金や武器を渡す。必要であれば、正当化した上で(できない場合もありますが・・・)直接軍事行動を起こす。やがて敵は滅びるが支援した対抗勢力がモンスター化して新たな脅威となる・・・ずっとずっと、シンプルに、この構図の繰り返しです。

テロ行為そのものは、断じて肯定することはあり得ませんが、その一方で、イスラム国も、テロも、我々の住むグローバル資本主義社会(の限界)が生んだ一つの結果であり、残念ながら、我々自身の一部であること(=無縁ではないこと)は少なくとも認めなければなりません。

とはいえ、なによりもまずは、テロの犠牲者に心からの哀悼をささげるとともに、まだ生死の境をさまよっている方々、心身ともに傷ついた方々の一刻も早い回復を祈ります。そして、多くの友人が住む花の都が、一日も早く、明るく穏やかな日々を取り戻すことを願ってやみません。

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★第一報、分かりやすくまとまっています。

パリで大規模なテロ事件、「イスラム国」が犯行声明 | KSM News & Research

 

★2年ほど前の英FTの記事の翻訳。ものすごい炯眼。こういう記事を読むたびに、もっと英語も仏語もうまくなって外国の報道をどんどん読んで聞けるようになりたいと思います。[FT]シリア攻撃支持で恐るべきリスクを取るフランス :日本経済新聞

 

★11月12日にはレバノンのベイルートでも大規模なテロがあったようですね(下記ホームページで知りました)。こういう、報道のバランスというのはとても大事と思います。

ベイルートとパリでのテロ攻撃について | 東京ジャーミイ・トルコ文化センター

寺、ネコのいる風景

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◆June 2002, Kamakura (Jufuku-Ji)
もうずいぶん前の梅雨時の鎌倉。なぜかこの日はネコに恵まれて、寿福寺だけで四匹も遭遇。本堂のネコはサービス精神旺盛でした。

 

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◆March 2009, Shimoda

カーター大統領も訪れたという、米国総領事ハリスの宿舎だった玉泉寺の石碑の前にたたずむネコ。根が生えたように動きません。
何か言いたげな雰囲気でしたが察することができませんでした。
なお、ここには米国やロシアの水兵の墓もあります。
特段、観光地という雰囲気はないのですが、激動の幕末の証人といってよい貴重なお寺です。

http://gyokusenji.web.fc2.com/

 

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◆February 2013, Kamakura (Komyo-Ji)
この日は鎌倉駅から材木座の海に出て、光明寺の裏手から急坂を上り、鎌倉第一中学校の前を通って富士山を見ました。それからまた光明寺に戻ってきました。
すると、待っていたかのようにネコが近づいてきて体ごと何度もこすりつけてきます。
しばらくすると、満足したのか本堂のほうに行ってしまいました。
こんなことは今までこの一度きりです。

 

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◆May 2013, Ota-ku, Tokyo (Honmon-Ji)

本門寺の階段脇の灯篭。ここのネコは独特のしぐさと表情で、人みたいな雰囲気でした。似てるオッサン(かオバサン)がいそうです笑。落語にでも出てきそうな勢いです。江戸っぽいような気もします。

 

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◆August 2013, Kokubunji, Tokyo (Kokubunji Park)
虻がブンブン飛び回る、野性味あふれる盛夏の武蔵国国分寺跡。
あてもなくうろつき回る私を一匹の三毛猫さんがじっと見ていました。(ところで三毛猫って基本的にメスなんですね。知りませんでした・・・)

 

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◆September 2013, Omachi, Kamakura
天園ハイキングコースから大町方面に降りてきたら、立派なお屋敷の前にたたずむネコを発見。車はほとんど通らないでしょうが、まるで自分の道であるかのようにくつろいでいました。

 

古い町やお寺にいるネコは、気のせいか、どこか品が良くてユーモアがある気がします。そして、何か言いたげでもあります。

一年前、ヨコスカで戦艦三笠をみた

ちょうど一年前、横須賀に戦艦三笠を見に行きました。

一年、早いですね。文字通りあっという間です。

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記念艦「三笠」公式ホームページ|神奈川県横須賀市

 

f:id:grenelle165:20151101080615j:plain ピカピカの操舵室

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何のパーツか忘れましたが、製造元が刻まれたプレート。
学生時代に一か月過ごした英北部の町、ニューカッスルの名があり思わず撮影しました。19世紀から20世紀初頭は世界に誇る造船の町だったんですね。

 

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どちらかというと中高年や「男性一人」の見学者が多い中で、子供たちの姿もありました。

 

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甲板でモデル撮影。戦艦でなんてシブいですね。なんの雑誌?でしょうか。

 

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おなじみの絵!

 

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館内にはたくさんの展示室がありました。

いろいろな展示やパネル、ビデオを見て、日本海海戦の勝利は、天才提督、参謀による戦術やバルチック艦隊の長旅の疲れというだけでなく、むしろ、当時、国際的にも国内でもロシア帝国がかなり追い込まれた状況の中で、そもそも戦争ができるような状態ではなかったということが改めてよくわかりました。

日英同盟の中での多岐にわたる英国の協力も大きかったですし、個々の事件、たとえば、ロシアの焦りが生んだ回航中の「ドッガーバンク事件(北海で操業中だったイギリスの漁船をバルチック艦隊が日本の艦艇と誤って攻撃)」なども、その後英国が各国で艦隊に補給させないように協力に働きかけたことで日本海海戦の勝利の遠因になったようです。

 

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ちなみに、この海戦でのロシアの戦死者は4,803名(日本は117名)。
いろいろと勉強にはなりつつも、やはり、長い長い、辛く緊張の絶えない航海を経て、一瞬にして命を落としたロシアの将兵と、大勝利に沸く中でどうしても忘れられがちであっただろう日本側の戦死者のことを思うと、複雑な気持ちになります。

(ちなみに「黄海海戦」は日清戦争日露戦争の両方であったそうです)

 

帰りは京急で蒲田まで出て、「バル肉寿司」さんで一杯。

ぐるなび - バル肉寿司(蒲田/ワイン)

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こじんまりと落ち着いた雰囲気のお店で、内装もちょっぴりユーモラスです。
肉の寿司もさっぱりしていていくつでも食べられそうでした。

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水都アビジャンのパノラマ

アビジャンギニア湾にほど近い、ラグーン(潟湖)に囲まれた西アフリカ随一の大都会です。

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水辺と陸地と森が重なり合った広くて奥行きのある地平線。とても大らかで、開放感があります。

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しかし、こうみると、欧米の都会に匹敵する近代的な大都市と錯覚してしまいそうです。

確かに、ビルが立ち並んでいる官庁・ビジネス街は、市場があるアジャメやその他の地区に比べれば、ずっと整った雰囲気です。でも、秩序だっているかと言われるとそれは違います。むしろ、ルールがあるようで、ない。でも、全くないかというと違う。あるにはあるが、決められたルールを守るというよりも出たとこ勝負。多くの物事が、人と人とのその場のやりとりで定まっていく。そんな何でもありの雰囲気が漂っています。

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その「何でもあり感」をどのように表現してよいか、まだ適当なことばや表現が見つかっていないのですが、私もすでに身体感覚では、アフリカをアフリカたらしめている「何か」をとらえているのかもしれません。

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アジアでの経験があったら、比較しやすいのかもしれませんね・・・

 

ちなみに、町の写真は、アビジャンで一番大きなカトリック教会、サン・ポール大聖堂の展望台からとったものです。大きな十字架の一番上ですね。中は狭くて急な階段のみ。エレベーターは資金不足で取り付けられていませんでした。

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イタリア人建築家の設計で、80年代半ばに竣工したそうです。

青い屋根は三角形で三位一体を表しています。内部は空間をさえぎる柱がまったくなく、屋根と建物の重みは、大十字架が太い六本の鉄骨で支えているそうです。

内部に柱がないことも含め、フォルムはなんとなく目白の東京カテドラルをほうふつとさせます。

とてもユニークで、周辺も内部も見どころ満載の教会でしたので、またいつかご紹介したいと思います!

ネコの視線

ネコの視線をとらえるのは本当に難しいですよね。

正面からみつめても、視線が合ってるのか、合っていないのかいまひとつわからない。何を思っているのかもよくわからない・・・

ネコは割と好きで今までたくさん写真を撮ってきましたが、なかなかモノになりません。

ツレないですね・・・

 

f:id:grenelle165:20151030080615j:plain   February 2014, Togoshi, Tokyo

 

f:id:grenelle165:20151030080738j:plain  February 2014, Togoshi, Tokyo

 

f:id:grenelle165:20151030081017j:plain November 2014, Ueda, Nagano

 

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March 2007, Paris

 

これからも楽しくネコたちを撮っていこうとおもいます!

 

アビジャンの市場でギターを買った

アビジャンのアジャメ地区はこの国一番の商業エリア。

国内外からの多くの物資が一度ここに集まり、そこから市内、国内各地に流通するといわれています。

小さな小売り店も山ほどありますが、卸問屋エリアといったほうがこの地区の特徴をよく表しているかもしれません。

大統領選挙を翌日に控えた土曜、私はアジャメ地区にギター(アコギ)を求めに足を運びました。

もちろん、外国人が一人で悠々と買い物ができるような場所ではありませんので、いつも混みいったところを案内してくれる同僚と、ありがたいことに今回は音楽が趣味という弟さんも一緒です。

車道まで人がごった返すアジャメの大通りを抜け、ガソリンスタンドの一角に車を停めて、そこからすぐの楽器屋さんに案内してもらいました。

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さっそく二つほどギターを見せてもらったのですが・・・弦は所どころさびていて、ネックも少し反った感じで、とても商品とは思えません。

さすがに「きれいなのはないのか」とドマジメな顔で言うと、同僚の弟さんも加勢してくれ、ほどなく、真新しいギターをもってきてくれました。

 

「GIVSON」

 

これは何だ・・・どこのメーカーなのかと聞くと、インドかどこかだといいます。こっちの人にとってはメーカーなどどうでもいいのかもしれません。

狭い店内で適当にチューニングして軽く弾いてみると、、、弦は、日本ではあまりみないハードなタイプで、ブロンズ弦なのですがとても重くかなり金属的な音色。
インドと聞いたからか、シタールのビョ~ンという独特の音色が頭をよぎります(完全にイメージですが)。

値段を聞くと6万5千FCFA(約1万3,000円)といいます。
例によって、同僚が即「ノーン!」と応じ、私も不満気にもうちょっと安くならないのかと聞きます。弟さんも交えたやりとりの結果、ソフトケース付で5万(約1万円)となりました。

私としては、GI「V」SONの衝撃がやや残り、もうちょっと安くしたい気もありましたが、弟さんもこんなものだと言いますし、まあ、話のタネにもなるかと気もしてすっきりと購入。ちなみに、弦もほかの種類はないようです。

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こんな感じです。

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これから2年、長ければ3年。娯楽の乏しいこの地で仲良くすることになるのかと思うと、ほのかに親しみもわいてきます。

弦も、弾きにくかったりしたら変えればいいしね。
まあ、いずれ変えるものだし。

それにしても、今日も買い物をして思うのは、日本ではいかにいいものを安く(サービスも含め)売っているかということ。

あとでネットでいろいろ見て、GIVSONのアコギやエレキも、インドでも1万円くらいはするようですが、1万円もあれば日本ではきれいにメンテされた中古のギターがいくらでもありますし、弦の張り替えもチューニングもしてくれます。

そして、みな、いいものを安く提供するために毎日夜遅くまでがんばって、でもなかなか豊かになれない、所得も上がらない。

一方、世界では、もっと簡素なもの、場合によっては粗悪なものが、新興国を中心に山ほど流通している。でも、言われるほど値段は安くない。日本のものは、明らかに品質がよく、言われるほど高くもない。でも売れない。その前に、ない。あるいは知られていない。少なくとも、新興国の消費者の目に入る、手の届くところにはない。

先日も、アジャメの市場で洗濯物干し(置くタイプ)を買ったのですが、いくら探しても粗悪な中国製しかなく、しかも高い!日本ではまず2000円もしないようなものが、平気で4000~5000円で売られているこの現実。コスパが悪いどころか、日本では商品にならないようなものが、かなり高く売られているのです。

ここでは、地元でとれる食材(例えば例の「アチュケ」や、バナナやパパイヤなどの果物)などはとても安いですし、現地のスタッフと一緒にいつも食べるデリバリーの昼食も驚くほどお手頃です。しかし、ひとたび加工が入ると、じわりと値段が上がります(6本パックで地元産のミネラルウォーター1L=約100円)。輸入品となると日本より断然割高なものばかり(例えばコーンフレーク=500~800円など)。一部の富裕層を除いて、現地の人が気軽に買えるようなものはあまりありません。(現に、輸入品が売ってあるようなスーパーはいつもすいています)

地元でとれる一次産品(地産地消のもの)を除き、地元で作れない輸入加工品、中には一部の粗悪な中国製品などが「大量」かつ「割高に」売られているという大まかな構図は、ここコートジボワールだけでなく、アフリカのいたるところで当てはまるのでしょうね。

一概に、特定の国の商品を貶めるつもりはありませんが、アフリカの消費者にも、日本のいいものを適正な価格で提供できるようにならないか・・・と心から思いました。同時に、ニーズに合わせた柔軟な対応。日本が不得意な効果的なPRも・・・。

しかし、購買力がどんどん下がる一方とはいえ、一応、日本人の我々が「高い!」と感じる商品が少なくない中で、地元の人たちはどうしているのかといつも思います。

おそらく、まさに身の丈で生活しつつ(買えないものは、買えない!)、必要なものは家族や親族、友人で融通しあったり、分け合ったりしているのでしょう。

そうとしか思えません。

アフリカを見聞し、アフリカを通じて日本と世界を知る。
旅路は続きます・・・

 

PS 「ギヴソン」のホームページを見つけました。昔「カルカッタ」と言っていたコルカタ(Kolkata)に本社があるようです。  

GIVSON MUSICAL INDUSTRY

 

石井好子『女ひとりの巴里ぐらし』

日本人がパリ暮らしについて書いた本やエッセイは星の数ほどあるが、石井好子『女ひとりの巴里ぐらし』は、まさにその草分けであり、かつ、最も輝いている作品の一つだろう。

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何よりもまず、著者が歌手(アルティスト)として働いた「ナチュリスト」の同僚たちが、あまりにも個性的で読み手の気をそらすことがない。それぞれ性格は違うが、気の強さはみな人一倍のアルティストたち。そして、マヌカン、踊り子、女給、裏方の面々。本音とエゴがぶつかり合う騒々しい楽屋。それぞれが抱えるつらい生い立ちや家族とのいさかい。それでも、彼ら、彼女らは、一日の休みもなく舞台に立たねばならない。心身ともに疲れ果てる毎日。その合間に、時々、光が差し込むように心と心のふれあいが生まれる。

そして、「ナチュリスト」をとりまく数々の挿話。当時の人気歌手、ムルジやデリダとの交流、顔面神経痛専門の芸人、マヌカンを口説くまさか!?のオーソン・ウェルズ、アラブの王子、エジプトの財閥の「ガマガエル」、キューバの砂糖王、日本人詐欺師の「T」などなど、生き生きとした挿話が、エッセイを盛り上げる。

60年以上も昔の「ナチュリスト」と、ピガール広場、モンマルトル界隈のざわついた光景が、私が実際に見て、歩いた、2000年代のパリの記憶とも重なり、自分自身があたかもその場にいたかのような錯覚に陥るのだ。

強気の筆致に乗せられて、夜更かしもいとわず一気に読み通した。
ひさびさの心地よい読書。

ところで著者のパリ滞在は50年代前半。在留日本人の数も400人だったというから(本文より)、もちろん今とはケタ違いに少ない。

フランス人の日本に関する情報や知識、認識も、今からは想像もできないくらい乏しかっただろう。

そんな時代に、若い一人の日本女性がパリで現地の人に交じって生活し、仕事をした。

しかも、フランス人やヨーロッパ人に伍して、パリの有名ミュージックホールで一日も休まずに歌い続けて最高のギャラをもらい、それ以外にも、ニースでのシャンソン大会など、様々な檜舞台で活躍したのだ。

解説で鹿島茂氏も書いているが、「現地で、日本人相手ではなく、現地の人を相手にお金を稼ぐ」ことがどれほど大変なことか。私は海外の生活(2000年代のパリ6年とアフリカでの今)で、日本からの駐在員という身分でしか仕事をしていないので、そのプレッシャーは身をもってわからない。とはいえ、仮にそれを本気で志した時は、とてつもない苦労があることは想像できる。

著者はこのような観点から、自分の苦労を誇らしげに語ったり、ほのめかしたりすることはない。
しかし、現地の人々の間にしっかりと溶け込み、そこで稼いだ。それ故に、「ナチュリスト」の舞台裏を描く生き生きとした描写が、著者でしか知りえないようないくつもの挿話が、他の書き手にはないリアリティを持つことになるのだ。

読者はそのリアリティからくる迫力をひしひしと感じながら、著者の過ごした濃密な時間を、あたかもタイムスリップしたかのように追体験することができる。

「巴里」というタイトルも、単にレトロな呼び名というだけではなく、むしろ、文字通り遠い異国であった当時の「巴里」で、身一つで果敢にチャレンジした、その経験の幅の広さと、奥行きの深さを含んでいるように感じる。
著者が送った時間の濃密さと色鮮やかさ・・・
うまく言えないが、当時はパリではなく本当に「巴里」だったのだ。

著者が生きた「巴里」が本当にまぶしく映った。


<追記>
(1)著者が一年間、ニースのシャンソン大会に出演した三日間以外、一日の休みもなく出演した「ナチュリスト」での舞台の写真が、こちらのブログに載っています。

ジャコメッティと二人の日本人(5):美術領域探求:So-netブログ

この大変貴重な写真、どこから持ってこられたのでしょうかね。とても興味深いです。

 

(2)著者が心惹かれてやまなかったシャンソン歌手「ムルジ」をYouTubeで検索したところ、色々と出てきました。マルセル・ムルジ(Marcel Mouloudji)は、1922年生まれ(著者と同い年ですね)。父親はアルジェリア、母親はブルターニュ出身。ムルジが10歳の時、母親が精神疾患になり、その後は読み書きができない父と兄とで屋根裏部屋暮らしをする。思春期には左翼運動に身を投じ、戦前から戦後にかけていくつかの映画に出演。サルトルボーヴォワールなどとも知己を得る。
シャンソン歌手としては、1952年、パリの人気キャバレー「トロワボデ」のオーナーで芸能プロモーターのジャック・カネッティの後押しで、『女ひとりの巴里ぐらし』にも何度も出てくる『小さなひなげしのように(Comme un p'tit coquelicot) 』が53年のレコード大賞となり、シャンソン歌手としての活動が本格的に始まる。その後も反戦歌で有名なボリス・ヴィアン作詞の『脱走兵( Le Deserteur)』や『Un jour tu verra(いつか君は分かる)』を歌い、一躍人気歌手となる。
その後、再び映画や舞台でも長く活躍し、死去の直前まで精力的に仕事をした。1994年逝去。パリのペール・ラシェーズ墓地に眠る。
(以上、Wikipediaフランス語版より)

聞いてみると分かりますが、とても素直で、伸びのある歌声です。
シャンソン歌手は声も歌い方も個性派ぞろい(しかいない!)という印象ですが、ムルジは飾り気がなく、強いクセもありません。爽やかでありながら、深みのある優しい歌声ですね。文中にも出てくる通り、確かに、美男子ではありませんが、このあたたかい歌声。著者が心惹かれたのがわかる気がします。私も好きになりました。

『小さなひなげしのように』Mouloudji : Comme un p'tit coquelicot. - YouTube

『枯葉』(イブ・モンタンで有名ですね)

Mouloudji chante Prévert "Les feuilles mortes" version inédite 1958 - YouTube

『脱走兵』(歌詞はボリス・ヴィアン

Le Déserteur - YouTube

  

女ひとりの巴里ぐらし (河出文庫)

女ひとりの巴里ぐらし (河出文庫)